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dr414 新聞によると
 新聞によると、3月9日、欧州エネルギー取引所は二酸化炭素排出権のスポット(現物)取引を開始したとのこと。この日の取引では、排出権トン当たり10.40 ユーロ(約1450円)の値がついた、と紹介されている。これは、二酸化炭素を1キロ排出するために払うべき対価は1.5円であるとも言い換えられるだろう。
 ガソリンは、( http://wwwsoc.nii.ac.jp/jpi/dictionary/petdicfuel.html )によれば、炭素数4~10程度の炭化水素を主成分とする。中間の炭素数を選ぶことにして、オクタン(C8H18、分子量114)は、室温における比重が約 0.7 であるので、1Lのガソリンは約 700 グラム、純粋な炭素に換算すると 590 グラムになる(700×(8×12)/114=589.5)が、完全燃焼で生じる二酸化炭素に換算したときには、2.2キログラム(589.5×44/12)に相当する。つまり、ガソリンを使用する際に、もし排出権を個人で購わなければならないとするならば1Lあたり3円の上乗せ価格を払わなければならないことになる計算である。
 排出権を買うという行為は、実は誰か他の人たちが排出量を減らしてくれたものをカネに任せて自分が減らすべき割り当てに充てることに相当する。ならば、これを自分ですべて行うとしたらどうなるだろうか。経済産業省による削減コストの試算の報告書 ( http://www.meti.go.jp/feedback/downloadfiles/i41208bj.pdf ) の34ページの図を見ると、日本において炭素1トンを削減するにあたり必要な費用は、いろいろな見積もりがある中で、平均しておよそ400 USドルであるとされる。つまり、二酸化炭素の削減コストに換算してキロあたり10円強と計算され、排出権を買うよりもずっと割高である。もしこの値段をガソリンに上乗せするならば、1Lあたり20円以上となってしまう。
 二酸化炭素を排出することにカネが掛かるという前提を推し進めると、まるでSFだが、呼吸をするのも有料な未来があるのかもしれない。

 新聞によると、2月14日、北海道で飲料水にジクロロメタンが混入するという事態が発生したという。低沸点の塩素化炭化水素で、沸騰することにより除去することが可能なものであり、各市町村では「21日まで生水は飲まないように」という指示を出したとのことである。これは、妥当な指示であると思われる。ところが、また別の新聞の記事によると、ある小学校では、飲料用のミネラルウォーターなどを準備した以外に、 "「万が一を考え、より安全を期したい」と手洗い用にも煮沸水を使わせた" のだそうだ。手洗い用とは、まさかトイレを流す水ではあるまいが、今回のこのような措置は本当に有効であるのだろうか。
 水道水中のジクロロメタンの基準は、0.02 mg/L 以下と定められている。これは、濃度で表示するならば、20 ppb にあたる。同じ新聞の20日の記事によれば、今回の事故で検出されたのは、16日の検査で 98 ppb、17日の再検査で 270 ppb、18日の再々検査で 390 ppbであったというから、確かにこの基準はオーバーしている。
 ジクロロメタンの毒性については、( http://www.env.go.jp/chemi/communication/factsheet/pdf/1-145.pdf ) によれば、「水道水質基準等は、ラットを用いた2 年間の飲水投与試験における肝腫瘍の増加を根拠に、耐容一日摂取量(TDI)を 0.006 mg/kg/day と算出して、設定されています」と記述されている。さて、実際に検出された最大量のジクロロメタンを含む水として、400 ppb ( 0.40 mg/L )の濃度のものを考え、これを1日に5L嚥下するものとしよう。すると、その中のジクロロメタンの総量は 2 mg と求められる。体重が 50 kgとして計算するならば、1日の体重あたりの曝露量は、0.040 mg/kg/day となり、上に挙げられた TDI の7倍弱となっている。TDI というのは、平均でその量以下の曝露量であれば、長期間にわたって摂取してもなんの影響もない範囲として定められているし、ごく短期間であれば(そして、長期での平均がこの量以下であれば) TDI を越えた量を摂取したとしても通常は問題がないとされている量である。つまり、TDI の7倍という数値は、数日の間だけであれば、この程度の量に曝露されたからといって、何ら影響がないと判断しても差し支えないと考えられるのだ。手を洗った水が口にはいることは十分考えられるけれど、何滴単位の量ではないだろうか。まかり間違って手を洗う水を5Lほど飲んでしまっても、特に問題は生じないと考えられるのであるから、飲料水を煮沸したものや別の水源から汲んだものにするのは合理的であるとはいえ、手を洗う水まで煮沸水にする必要は無かったと思われる。ちょっとだけ、MOTTAINAI。

 新聞によると、「環境省は(3月)14日、ノニルフェノールなど65物質を対象として行ってきた従来の内分泌かく乱化学物質(環境ホルモン)の研究戦略「スピード98」を見直し、すべての化学物質を対象として人間や動物、自然界への影響を広く調べる新たな研究戦略「 ExTEND 2005 」をまとめ、発表した」のだそうだ。
 SPEED'98 の結果は、昨年秋ごろから公開されはじめ、つい先日、9日にも「(特に優先度が高いと考えられていた65の対象物質の中にも)哺乳類のネズミを使った試験では、明確なかく乱作用を示した物質はなかった」ことを最終結論(?)として報告があったばかりである。
 環境ホルモンは、一般毒性(通常の化学物質を扱う際に問題とされるような毒性:急性毒性や、発ガン性を含む慢性毒性等)が問題であるとされるような濃度よりもごく低濃度の領域で、内分泌攪乱作用があるのではないかということが疑われたことにその問題の端を発する。DES などの合成ホルモン剤などの例を除き、一般毒性が問題とならないような低濃度では、内分泌攪乱作用も(ほとんど)ないことが明かとなり、環境ホルモンとして取り締まる必要がないことが明かとなった、というのが今回の SPEED'98 の結論なのではないか。これは、全く取り締まる必要がなく野放しにしてもよい、というわけではなく、一般毒性に注目して通常どおりに取り締まれば問題は生じない、という話である。
 正直な感想として、え、まだやるのか、と呆れているところである。環境省のページ(環境省報道発表資料 http://www.env.go.jp/press/press.php3?serial=5785 )によれば、「平成17年度からはこの新しい方針に基づき、調査研究等を推進して行く予定」なのだそうだ。もういいかげんそんなところにカネを使わなくてもいいから、別のことに使ってくれよ、と思う。これは、自分が環境ホルモン屋さんではない(ので、ExTEND 2005 からカネが降ってくるわけではない)からなのだが。
 …と切り捨ててしまったあとで、パブリックコメント( http://www.env.go.jp/info/iken/result/h170128a.pdf )を読んでいて、少々混乱してきた。
# by shinakaji | 2005-03-17 02:49 | review
dr413 四十肩
最近、肩が痛くて手があがらないのよ、これが四十肩っていうやつかしら。

そう嬉しそうに言ってにこにこしている。いや貴女の年齢を考えたら五十肩どころか六十肩でしょ、ってつっこみを待っているに違いないので、裏をかいた。

右手片手だけだったら、その半分で二十肩でしょ。大丈夫ですよ。

それをきいて更ににこにこしながら、こんどはなぞなぞを仕掛けてきた。

外を出歩いて遊んでばっかりの小鳥はなあに。

えっと、それはシジュウカラです。はい。
# by shinakaji | 2005-02-22 17:20 | essay
dr412 えっと…
昨日は連休初日ということもあり、とても有効に時間を無駄使いしました。

以上、要約は終わりです。時間の無駄使いの嫌いな方は、これ以上読まないでください。午前中は寝ていて、午後起きだしてメールチェック。ははん、寝坊は時間の無駄使いだな、と感心いただいた方、まだまだ序の口です。
メールチェックのついでに、ブラウザを開いて、うろうろしているうちに、「Yahoo!動画」のページ
http://streaming.yahoo.co.jp/promo/
をみつけました。別に宣伝の目的は無いのですが、ここでは、有料・無料のさまざまな番組を配信していくのだそうです。最高1Mbbsの高画質、ってうたい文句ですが、どうも僕の環境ではブツ切れになってしまうので、レートを半分の500kbbsに落として見ましたが。とりあえず、無料の番組があるのに有料のプログラムを見るのは勿体ないと思って、無料のやつを探しました。で、見たもの。眉村卓原作のTVドラマ、「狙われた学園」約25分掛ける9話。コミック原作のTVドラマ「エコエコアザラク」約25分掛ける6話。魔法使いサリーちゃんのパパママみたいなお父さんとお母さんがキュートでした。同じくエコエコアザラクの劇場版(80~90分)掛ける4本。TV版とは違う設定でつくってますね。TV版ではお父さんお母さんは黒魔術で人形に変えられてしまっていましたが、劇場版の方はイギリスに居ることになっていたりとか。TV版では黒井ミサ(主人公)が魔術を覚えたのはパパとママに教わったことになってましたし、妹もいることになってましたが、劇場版の方ではそういった設定から微妙に違うっぽいです。そもそも4本目の劇場版(覚醒というサブタイトル)では、黒井ミサは(魔女の素質はあったにしても)普通の人として暮らしていたのに、ある事故をきっかけに周囲からお前は魔女だと追い詰められて、自分が魔女なのだという暗示をかけてしまうお話。いたたまれない度はかなり高いです。ところで、主人公の黒井ミサという名前が黒ミサを暗示している(にもかかわらず、概していいやつですが)し、たぶん劇場版第2話の「100年後の現代に復活した霧江」という敵役はミサの中のキリエ・エレイソンですよね。他にも仕掛けがあるのかもしれませんが気づきませんでした。「狙われた学園」「エコエコアザラク」ともに往年のアイドル映画のつくりで、(でてくる顔ぶれもかなり共通点がある)レトロ調が楽しい。というか古いから無料なんでしょうけど。このあたりでオワりゃいいものを、次は「「ボーン・スプレマシー」特集 本編ダイジェスト映像(約17分)」を見始める。ダイジェストだけ見せられて、映画館に行きたくなりました。完全にむこうさんの思惑通り。んでもって、そういえばアニメ系にはどんな番組があったかな、と覗きに行って、ミイラ取りがミイラになってしまいました。「成恵の世界」約25分掛ける12話。なんとも。言ってみればSF者の好きそうなガジェットをいくつも組み込んでいます。そもそもタイトルもボークトの「非(ナル)Aの世界」のパロディだし、主人公の「七瀬」という苗字も、きっと「家族八景」「七瀬ふたたび」「エディプスの恋人」のヒダナナセからきているんでしょう。で、眼鏡ッ子役の八木さんは、… なんだろう元ねた。わからないけど、七に1足して八にしてるだけかも。うらしま効果によって年下になってしまったお姉さんの名前「香奈花」の元ねたもわからないっす。けっこうダメ系の男の子の優しさ(やダメさ加減)に強くてかわいい女の子がほれちゃう、という筋立ては今のライトノベルなんかでもひとつの黄金パターンにもなってますね。コミックでも、ジャンプの「いちご100%」だって(たぶん)そういうパターンだし。そういう女の子にしか萌えなくなっているガキんちょどもというのも、いわゆるコマッタもんだと思うんだけど、しょせん他人事ということで。めぞん一刻あたりもそうだったし、よく考えてみたら昔からそうなのかも。なーんだ。

以上でようやく終わりですが、これだけ全部見ました。昼飯というか朝飯というかをインスタントラーメンで済ませて(野菜不足を補うために、乾燥わかめをいれました)、連続で延々みつづけて、夕飯はインスタントカレーうどん(野菜不足を補うために、冷凍してあった茹で人参を食いました。あと、レトルトのカレーを足したので、インスタントとは思えない豪華さに。)で済ませてまた延々、空が白んでくるまで見ました。なにやってんだろ、と思いながら、「エコエコアザラク」の中で(殺されちゃう)脇役の子が言ってましたが「中途半端は嫌いッ」なんですね。そういえば映画館に行っても、片道自転車40分くらい掛けていくのに1本だけじゃ勿体無いからっていって3本連続で見てきたり、本屋に行ったら単行本2冊ほど立ち読みしたり、欲しい本が重なると選択するのは面倒とばかりに文庫本の10冊以上もレジへ持っていったりとか、そんな性格ですから、毒を食らわばなんていいながら出された料理は皿までくっちゃって、それでもって基本的には出不精なもんで体重だけは増えちゃって、ダイエットしなきゃ、なんていいながら、こうやって「えっと…」なんてタイトルで文章かいたり…。すみません。これがオチです。時間の無駄使いさせてごめんなさい。
# by shinakaji | 2005-02-12 23:59 | essay
dr411 トリポッド 三本足の巨人
僕の読書体験は小学生時代に端を発するといってもよいかもしれない。最後の学年では、何かに憑かれたかのように毎日1冊の本を借り、たとえ斜めにしか読むことができなくても、どんなに眠くても、とにかくその本を読み終え、そしてまた翌日、次の本を借りるということをくりかえした。その中には、子供向けに翻案されたERBのペルシダーもあったし、火星シリーズもあった。トリフィドもいたし、イドの怪物ケアールもいた。中学生になっては、その影響で東京創元社の火星シリーズを読み、EEスミスのレンズマンにはまった。そういう意味では、SF者としての僕を産んでくれたのが小学校の図書館だとすると、育んでくれたのは東京創元社であった。日本人の作家にもたびたび浮気をしたが、一番すきなのは翻訳物で、中には主人公の名前がカタカナなのがいけないなんていう意見もきくにはきいたが、そんなのは慣れの問題であって、そもそも翻訳物は面白いものだけをセレクトして翻訳しているんだから日本の作家のものよりも面白いのは道理であろう、と嘯いていた。

そんな原体験をつんだ小学生のころに、悔しかったことがひとつある。科学雑誌などで有名なさる出版社よりシリーズとして出されていた3部作の物語のうちの最後の1冊が、僕の小学校の卒業に間に合わなかったのだ。大型書店など近くになかったから、卒業以降も、本屋でそのシリーズを見かけたことはなかった。限られた小遣いで、本を注文して買うなどという贅沢は思いもつかなかったけれど、ほんのわずかな希望はのこしていた。ジュブナイルに翻案された火星が東京創元社の文庫からでているならば、あれもなにかの翻案に違いない。海外もののSFを扱うところといえば、当時、ハヤカワと東京創元社くらいしか思いつかなかったからそのカタログを本屋で手にいれ、次に買って読むべき本を吟味する。たしか、そう、作者の名前がクリストファーだったはず。僕は、うろ覚えながらクリストファーという名前の入ったそれらしい本は無いかと目を凝らした。クリストファー・プリースト、スペースマシン。当時の僕は勝ち誇った笑みを浮かべていただろう。ウェルズへのオマージュでかかれたというこの文庫の表紙は、加藤直之の手によって宇宙戦争の火星人を思わせる形状の機械が描かれている。きっとこれに違いない。だが、はじめの確信は読み進めるうちにくずれさった。これはこれで面白いのだが、あれとは違う。あれはいったいどこにあるのだろうか。

三本足の大きな機械が支配する未来世界、思考を制御するための金属製のメッシュのキャップをかぶることが成人の儀式である。成人とともに主体としての自分、自分としての思考を失うことを是とする社会に疑問を抱いた主人公は、いわれたまま大人になることを拒絶し、機械の支配の及ばない自由の国にむけて脱出をはかることになる。なにかにつけ、そんなことは大人になれば好きなだけできるのだから、と言われて、大人の感覚とは違う今の見方で感じることは、今しかできないと感じていた僕にとって、大人になればわかる、キャップをかぶってみれば違った見方ができるようになる、そういわれても納得のできなかった主人公に大いに共鳴していたはずだ。もうひとつ覚えている内容に、未来に設定されたその小説の中で、すでに文明が失われていることを示すエピソードがある。旅の途中で仲間になったある少年が眼鏡をかけていたことに、主人公は愕然とするのだ。その世界では、眼鏡などという奇妙なものは存在していない。近視の人がいないのではなく、それを眼鏡で補正しようなどという考え方は、とうに失われた技術だったのだ。その眼鏡の少年は、「正常な」ひとびとの間に出入りしようとするときには、疑われないために眼鏡をはずさなければならないのだ。

覚えているのはそんなところで、美化して言ってしまえば失われた初恋のような焦燥感と胸の痛みとともに、もう再開することは無いものだろうとあきらめかけていた。長く生きていればよいこともめぐってくる。常に新しいものが生産されているとは言いながら、消費者たちも常に入れ替わる。新しく生まれた読者は、彼らにとっては初めてのその物語をまったく新しいものと認識するのだろう。平積みにされ、彼らの購買意欲をそそるためには新刊でなければならないという事情もあるだろう。古きものが、訳を新たにし、表紙のイラストを変え、果てに出版社を変え、完全版、新装版、なにかにつけ何度も装いだけを新しくしながら流通にのってくるという仕組みを知るようになった。ほのかな期待があったといえば嘘になる。すっかり忘れてしまっていた昨年末、ハヤカワの文庫新刊案内をみて、もしかしてこれは、と思った。ジョン・クリストファー、トリポッド。オリジナルの3部作に先立つ前日譚をあわせ、全4巻としてだされるという。先日、その2冊目を、すなわち3部作の1冊目を入手して読んだ。残る2冊もつづいて文庫化されるらしい。ああ、これでずっとお預けになっていた結末を読むことができる。卒業後何年もたった同窓会で初恋の人に行き会って思わず幻滅するなんて話もあるけれど、誤解をおそれずにあえて言おう。何度も繰り返し世に問われるものは、そもそも面白いものだけをセレクトしているんだから、新しく書かれたものよりも面白いのは道理であろう。
# by shinakaji | 2005-01-24 00:35 | review
dr410 雪の花
風の通り道に雪の花は咲く。ゆうべに降り積もった白い雪は、日中も氷点を越えない寒さの中、風に昇華した水分が雪の上を通り抜けるとき、そこに氷の結晶を生じさせる。あたかも顕微鏡で覗いたような氷の薄片は、小指の爪ほどの大きさに育っていて、午後の太陽の光をうけて見る角度ごとにきらきらと光を返す。しゃがみ込むとこんもりとしたその一角では、胸元をふくらます仔すずめのように、ふっくらとした羽毛のような薄片が雪の中から無数につきだしているのが目に入る。フリースの手袋を外して、それを手の中にとり、息を吹きかけると、あっけないほど儚く、羨ましいほどに頓着もなく融けてしまった。なにがしかの冷たい水分が手のひらを少し濡らしただけ。

一面の白く塗り込められた世界の中で、黒一色を纏った私の姿は重く沈んで見えただろう。実際、私の心も軽いものとは言えなかった。なにも覚悟がなかったわけでもない。それは何ヶ月も前から決まっていたことでもある。それはこっそりと私にうち明けられた、とっておきの秘密。眠っていると思って医者が漏らしたことば。私の反応が見たかったのかもしれないし、ただ単に驚かしたかったのかもしれない。でも、本当はどうすれば良かったのか。甘えるのが好きだった彼奴は、私に代わりに嘆いて欲しかったのかもしれない。答えを彼からきくには手遅れだ。それに、私には私なりのこたえかたしかできない。どうせその医者の言葉を拾わなくても、気付いていたはずだという思いもある。春がきて夏がきて、秋があり冬が来る。ひとつの季節が巡ってしまうように、私達だって多かれ少なかれ限られた時間をすごしている。自分に責任を持つということは、そんなことも含めて自分のことをきちんと知ることだ。彼奴はそういったことがある。きっと彼奴はその通りにして、あっけなく、羨ましいほど頓着もなく融けてしまったのだろう。

なにがしかの冷たい水分に濡れた手のひらをみつめ、それから私は腰をあげた。目線の高さがかわるごとに、風の通り道に咲いた雪の花がきらきらと光る。今できることをしろ、彼奴に言った言葉を今度は私自身にいうべきだろう。手のひらを頬で拭き、若干の冷たさを感じて、それから私は歩き始める。少し冷たい風が私を追い越すように吹き抜け、そうして雪の花をわずかずつ成長させる。
# by shinakaji | 2005-01-21 21:18 | fiction