dr404 友達よこれが私の

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日曜 まぐろの切り落としの煮物
   蕪の浅漬け
   蕪の茎のお浸し
   飛竜頭の煮物


蕪の葉の部分も柔らかくておいしいのだけれど、今回は、葉の部分に斑点がついていたり枯れかけていたりで食べる気がしなかったので、無事そうな茎の部分だけ湯がいて二杯酢で。蕪の方は皮をむいて、薄く切って、塩と島七味で味付けして浅漬けに。ひろうすはしょうゆと出汁、酒で煮たもの。まぐろは刺身のさくをとったあとの切り落としが安かったので。案外あぶらがのっていて、煮ても固くならないのでおいしい。

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月曜 まぐろの煮物に揚げ茄子を入れた
   油揚げの煮物
   生野菜(レタスときゅうり)


昨日のまぐろの煮物に、フライパンでオレガノ風味に油焼きした茄子を加える。油揚げは、やっぱり昨日、ひろうすと一緒に煮て冷やしておいたもの。野菜はたっぷりと。舞茸が馬鹿みたいに安かった(6パックで140円)ので、大量に買ってしまって、しょうゆと酒と花椒で煮込んでおいたものをご飯に炊き込んだ。4合も炊くと一人で何食ももつので、小分けに冷蔵(や、目処によっては冷凍)しておいてレンジであたためて食べる。

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火曜 ゆで豚(二杯酢と山椒)
   生野菜(レタス、きゅうり、ピーマン)


まぐろがおわったので、今度はお肉。あっさりと茹で豚にし、山椒で香りをつけ、ポン酢で食べた。野菜はピーマンを刻んで緑色の補充。

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水曜 ゆで豚(ドレッシング)
   生野菜(きゅうり、蕪の浅漬け)
   人参とピーマンのきんぴら
   揚げ茄子とわかめの汁


豚を茹でた汁を捨ててしまうのが勿体無くて、わかめと揚げ茄子を加えて汁に仕立てた。豚肉は写真では大量に見えるが、実はきゅうりで底上げしてある。蕪の浅漬けも忘れないようにたべないと。人参は拍子木に切ってゴマ油で炒める。火が通ったらピーマンとゴマを入れ、最後にめんつゆで味付け。簡単簡単。

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木曜 さしみ(いか、まぐろ、えび、はまち)
   生野菜(セロリ、きゅうり、トマト)
   蕪の浅漬け
   もやしと薄揚げの味噌汁


半額シールの貼られたお刺身を買ってきたので、ちょっと豪華。野菜にはマヨネーズ+蒜蓉醤(にんにく風味の味噌ソースみたいなの)をかけて。お刺身の奥にあるのは「ゴマ味噌風味めんつゆ」とかかれた醤油。ちなみにお刺身より生野菜のほうがメインディッシュなのかもしれない写真の撮り方。

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金曜 うなぎの白焼き(わさび醤油)
   生野菜(きゅうり、トマト)
   セロリ入り茄子の塩炒め


味噌汁は火が通って昨日よりモヤシの色が濃くなってるね。セロリが案外固かったので、細かく刻んで炒めて香りを油に移してから茄子を入れて酒を振って炒めた。ふだんならちゃちゃっと醤油味になってしまうところを凝ったことをしようとおもって塩味にしてみたのだが、塩味の場合は野菜の灰汁の味を抑えるために少し出汁の素を加えたほうがいいね。あと、酒は塩の後にしないと塩気にムラができてしまう。ちょっと改善の余地を残した一品。うなぎは土用の前後にスーパーに並んだと思しく、賞味期限が近く安売りされていたもの。

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間食 やっとやってきたマンゴスチン


別に他に間食してないわけじゃないんだけど、昨年、輸入が始まってからどんどんと値下げをして、かと言ってとりたて安いわけではないことに変わりなく、つまりさほど売れなかったんじゃないか、と思われるマンゴスチン。今年もシーズンが始まって、ずっと探していたのに見つからなかったマンゴスチン。高島屋まで行ったのに置いてなくて、あきらめかけたマンゴスチン。ふと寄ったスーパーで1個200円で売られていて、迷うことなく購入。お久しぶりでございました。

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土曜 鰯のフライ
   きゅうりのカレー炒め
   蕪ときゅうりの酢の物
   トマト


鰯のフライは昨日寄ったスーパーの半額おつとめ品。トースターで温めたあと、油っぽさをとるために香醋をかけた。以前マクド(マックと省略する人たちもいる)で食べた魚フライにつけたわさびソースが案外美味かったので、それを模してマヨネーズ+わさびのソースで。きゅうりは、すが入ったようになっていたので、火を通して食べることにして、カレー粉炒め。蕪の浅漬けをそろそろ片付けようと思い、目先を変えるため、漬け汁(というか塩により滲みてきた蕪の水分)を捨て、きゅうりのスライスを足して、酢であわせておく。写真を撮ろうと思って、あわてて色あわせのためにトマトを切って添えてみる。


こうやってまとめてみてみると、ちょっと気張ってみたわりには、手のかかったものがなにも無いし、ずっとおんなじようなものばかり食べている。ご飯だっていっぺんに炊いたものをレンジで温めているだけだし。月曜日にお風呂を炊いて火曜日に入るような生活を笑えないということがよくわかった。

(2004.08.01)
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# by shinakaji | 2004-08-01 20:20 | photo essay
dr403 あきらめが肝心

アレフ。はじめにしょうゆさしがあった。大体において、世の中のしょうゆさしは使いやすいものと使いにくいものに2分される。僕がいままで生きてきた中で、つかいにくいしょうゆさしの大部分は、料理にしょうゆをかけたあとで、しょうゆが垂れて、テーブルにしょうゆの輪ができた。言い換えれば、輪のできないしょうゆさしは使いやすいともいえる。けれど、そんなしょうゆさしに出会うことはめったにないのが難点である。だから、僕はそれを大胆な方法で解決することにした。しょうゆをしょうゆさしに入れなければいいのだ。この方法はたいそう具合がよかった。しょうゆさしを使ったあとにできるしょうゆの輪が無くなったのだから、効果は100%である。たったひとつの難点は、しょうゆを入れる容器を何にするか、ということだ。そこで僕は考えた。もはやしょうゆをしょうゆの容器にいれてはいけないのであれば、なにか似たものの入っていた容器にいれればよいのである。適当なものはすぐに見つかった。手ごろなサイズのめんつゆの容器が、偶然にも、空いて洗われて置かれていたのだ。だから、うちのしょうゆはめんつゆの容器に入れられることとなった。

たまたまいつもと違っためんつゆを使ってみたこともあるが、ふだんは決まったものをつかっている。そのまま出汁しょうゆとして冷奴にかけてもよいし、4倍に希釈すると冷麦や蕎麦のつゆになる。8倍では煮込みうどんの汁になると書かれているし、12倍では吸い物や正月のぞうにに使えるのだそうだ。なお、鶏のからあげは揚げる前にひたしておく、と書かれているのだが、自分で揚げたことはない。こんな便利なものがなんとお得にも1升のペットボトルに入っているのだ。比重を1として、2キロ弱。ちょっとばかり重いのが難点であることに気づき、僕はそれを大胆な方法で解決することにした。めんつゆも別の容器にいれればよいのだ。たまたまそこにあったのは、しょうゆさしとポン酢のあき瓶であった。ここでしょうゆさしを使用するという選択肢は、残念ながら僕には許されていなかった。なぜならめんつゆの輪は、しょうゆの輪と同じくらい腹立たしいものだからである。だから、うちのめんつゆはポン酢の容器に入れられることとなった。

ポン酢はとても美味しい。程よい酸味があり、鍋物にも使えれば、青菜のお浸しにかけてもいい。さらには、その酸味のゆえにかけすぎを防いで、減塩効果さえあるという。だから安心してじゃぶじゃぶかけることができる。幸せってなんだっけ、なんだっけ、なんていうCMが昔あったけれど、僕にとってポン酢はやっぱり必需品なのだ。もしこんな便利で美味しいものが売られていなければ、僕は途方にくれてしまうだろう。そうなったら、自分でポン酢を作るしかない。作るしかないならばやってみようと、試してみたことがある。これが案外うまくいった。作り方は簡単で、黒酢とめんつゆを好みの割合で混ぜるだけだ。めんつゆには適度なうまみと甘みがあるので、2杯酢や3杯酢として使うこともできる。柑橘類の果汁を使えば本物のポン酢になって、もっと美味しくなるかもしれないが、この手間と値段でこの美味しさなら、なにも文句はあるまい。ただ問題なのは、その入れ物である。僕はそれを大胆な方法で解決することにした。自分でポン酢をあわせるときの原料の黒酢の瓶を、そのまま流用することにしたのだ。これだと、酢が瓶の半分くらいになった中に、めんつゆをどぼどぼとそそぎ、蓋をしてからよく振るだけでよい。この際にきちんと蓋を閉めないと、大変なことになってしまうから気をつけなければならない。こうして、うちのポン酢は黒酢の容器に入れられることとなった。

僕はあんがい酢好きである。その証拠に、いま数えてみたら中身の入った酢の瓶が3本もあった。1本は普通の黒酢の入ったもの。黒酢といってもせいぜい麦茶ていどの色であって、さほど黒いわけではない。色をみれば黒酢なのか、ポン酢なのかは一目瞭然である。すくなくとも僕にとっては。この瓶は、ポン酢の入っている黒酢のびんとはまた違うメーカーのものだから、なおさら間違える心配などない。もう1本はしょうゆのようにまっくろな酢である。中国かどこかの製品で、瓶には香醋と書かれている。なんだかどろどろした感じの見た目で、いたんでいるんじゃないかと心配になるのだが、なめてみたらやはり酸っぱくなっていた。でもこれはもともと酢だから区別がつかない。だから、たまに料理の香り付けなどに使っている。もう一本はりんご酢である。最近、夜でも蒸し暑く、冷たい飲みものが欲しくなる。そんな時に、いちいち外の自販機でジュースを買ってくるのはなんだか面倒で、僕はそれを大胆な方法で解決することにした。酢を水でうすめて氷を入れて飲んでみたのである。あにはからんや、案外これがいける。健康にもよさそうな気がするし、小遣い銭の節約にもなる。良いことづくめではないか。ただ、普通の黒酢だとまだ喉がぴりぴりする気がするので、飲用のためにわざわざりんご酢なるものを買ってみたのだ。見た目は普通の酢と同じなのだが、瓶に描かれたりんごの絵のせいか、味が自然でまろやかな気がする。

以上をまとめてみると、こうなる。うちの食卓には、黒い液体の入った瓶は4本ある。瓶はめんつゆとポン酢と黒酢と香醋。中身はしょうゆとめんつゆとポン酢と香醋。別に黒酢も存在している。いかにも酢然としたりんご酢もある。そんなわけで、はじめてあそびにきた他人にとって、うちの食卓の調味料は、かなりわかりにくいのだそうだ。自分ではもう慣れてしまっているから、たいして間違えることもない。たまに間違えても大したことはない。むしろこういったものが人生の味付けなのだと笑い飛ばせばいい。すっぱい失敗。

(2004.07.27)
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# by shinakaji | 2004-07-28 02:50 | essay
dr402 巨大魚と中古のライオン達

「ウォルター少年と、夏の休日(Secondhand Lions)」(以下ライオン)の映画は見ていないのだが、ノベライズ(竹書房)を読んだ。口絵の映画のシーンからとられた写真をみて感じたことは、ハリーポッターと開かずの鞄(←間違っている)を映画で見たときの感想にも似ているのだが、主人公役のオスメント少年が大きくなったなあ、というものだ。子役はいつしか大きくなって大人になる。けれど描かれた少年は、あいも変わらずすぐにも泣き出しそうで繊細だ。どうも僕の固定観念かもしれないのだが、オスメント少年には、シックスセンスにしろA.I.にしろ、眉を顰めて泣くのをこらえているような表情のイメージがある。

さて、ウォルター少年が母親につれられて、それまで存在すら知らなかったような伯父たちのところにあずけられるところからこの話ははじまる。彼にとっての母親である前に奔放に一人の女としてしか生きられない母親は、けして憎むべき性格ではないのだが、人の親としては向いていないのだろう。父親もなくそんな母親に育てられたからなのか、小さいころから転居をくりかえしてきて親友もいない彼にとって、この世に本当に大切なものは何もない。本をよみ、想像をして毎日をすごす、リアルを感じさせない少年だ。彼にとって母親は頼るべき相手でありながら頼りきることのできない諦観の対象でしかない。そんな彼が、飾り気のないちょっと風変わりな伯父たちとすごす中で、彼にとって大切なものが何であるかを見出していく物語だ。

読んだ直後に、僕は「ビッグフィッシュ」を思い出していた。ビッグフィッシュでは主人公の父、ライオンではウォルター少年にとっては父親代わりともいえる伯父たちは、ともにちょっと信じがたいほどの冒険をしてきたのだと告げ、最後のクライマックスでは、彼らの死後、その話が真実であったことを匂わせて話が終了するからだ。ビッグフィッシュの主人公は、話術の巧みな父親の「ほら話」が本当にあったことだとは思っていないが、あるきっかけで父親の話の中の真実はなにかということを探しにいく。父親のほら話を辿る映像は美しく、この映画の見所のひとつでもある。父親は死に際し、主人公の手の助けによって巨大な魚となり川の流れの中へ帰り、主人公が父親の人生をほら話も含めて受け入れたことを象徴するのだが、最後の父親の葬式の場面で、弔問客であるシャム双生児であったはずの女性が実はそれぞれ別の身体を持つ二人の美女だったことを映し出し、すべては嘘では無かったことを示唆する。ライオンではそのような手の込んだ描写は無い(これはノベライズだからかもしれない)。莫大な財産をもち、金の匂にひかれて近寄ってくる者たちを避けるうちに、まるで人嫌いなように振舞う癖のついた伯父たちは、過去に強盗をはたらいたのだとさえ噂されるのだが、ウォルター少年の打算のない姿に彼らもやがて打ち解けてゆく。一方、少年にとって、母親さえもが彼に嘘を告げるのだから、嘘などたいしたことではなかったのかもしれない。伯父たちの話す獅子奮迅の冒険譚に「信じたいことを信じればいい」と言われ、本当かどうかの判断がつかないまま彼らをまるごと受け入れる。そして映画(というよりノベライズ)にも描かれていない数年も含めて、彼にとってのリアルな生活が始まるのだ。

このノベライズを読みながらストーリーとは関係の無いところで、僕は「エイリアン」も思い出していた。まだ映画を自由に見にゆくような小遣いさえ持たなかったころであったが、映画のノベライズとしてはじめて読んだのがこの「エイリアン」である。ギーガーのデザインに負うところも大きかったのだと思うが、この映画は興行的にも成功し、いくつかの続編を生んだのであるが、そのうちの1作が、同時期に公開されたターミネーター2とエンドシーンが似ていることでも話題になったのである。けして模倣したわけではないはずなのに、結果としてはその色や形が似てしまうことがある。そんな普遍性という共通点に思いが及んだためであろう。

(2004.07.24)
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# by shinakaji | 2004-07-25 02:18 | review
dr401 ブログがラーメン屋だとすると
世の中では、比較的新しいウェブサービスの一環として「ブログ」なるものが注目されている。なんだか判らないなりに調べてみると、既存のウェブサービスよりも個々の発する情報の間の相互作用を重視しているものであるように見える。喋りっぱなし、発信しっぱなし、打ちっぱなしではなくて、キャッチボールをするようなものか。いや、1対1ではないから、キャッチボールというよりも集団球技か。いやあ参ったなあ、バレーボールにしろ野球にしろ、オレ、球技って苦手なんだよな。別に他のことなら得意ってわけでもないんだが。


ブログでは、ポストされた記事に対して「コメントをつける」他に、「トラックバックする」ことができる。トラックバックこそ、ブログの醍醐味とまで言う人もいる。今回ブログについて関心を持って初めてきいた、この「トラックバック」について、オレのつたない理解で喩えてみよう。

いまとても美味いラーメンを食わせる店があるとする。貴方はそのラーメン(すなわちポストされた記事)にいたく感動して、店主にその感動を伝えたいと思う。色紙なりその店に用意されたゲストブックに、そのラーメンの感想を書いてくるのが「コメントをつける」ことであり、これは従来でもBBSなり感想用のフォームなりの用意されたウェブサイトでは可能なことである。

これに対して、貴方自身が編集しているグルメ雑誌の中でそのラーメンを絶賛したとしよう。その絶賛記事のコピーと雑誌社の連絡先を店主に送りつけると、店主はこの記事を額に入れて店先に飾るかもしれない。いわゆるこれがトラックバックだ。従来であれば、ウェブでこれを実現するには、もとの記事を書いた先方に、これこれのURIに貴方の記事に対する意見を書きましたと告げ、先方がその部分の引用とリンクを貼る作業をしてくれるのを待たなくてはならなかった。この「引用とリンク」という作業がなければ、先方がその意見を読んでくれることはあっても、先方のサイトの訪問者の目にまではとまらないからである。この「先方のウェブのスペースに、自分の書いた意見を引用しリンクを貼る作業」を自動的にしてくれるのがトラックバックということになる。従って、トラックバックされた記事への批評なりを読もうとすると、批評なりの書き手のウェブサイト(ブログ)へ跳ぶことになる。

今までも自分のウェブサイト上に、ウェブ上で発信された誰かの記事に関するコメントを書くことはできた。けれど、相手にその記事へのリンクを強制することはもちろん、読むことを強制することすらできなかった。つまり、トラックバック機能は、情報発信者の間のつながりの構築を強制し、良い意味では容易にする。だからこの機能に注目してブログを使用するということは、誰かからの批評なり共通の興味の表明なりを積極的に受け入れたい、という意志の現れとなるのだろう。

単なる感想や短いコメントなら、先方のBBSなりにコメントを書いてくるだけでも良いだろう。(ブログにもコメント機能がある。)けれど、その感想や先方の記事を元にして、さらに議論を展開したいという場合にはどうだろう。「いやそうじゃなくて、元ネタはあるけど、これはオレの意見だからオレのウェブサイトに書くぞ」という意志の表明が、トラックバックするということになるだろうか。トラックバックする相手として、クロスで(つまり複数の相手に対して)トラックバックするということだってできるようだ。(トラックバックURLの行にセミコロン区切りで書くみたい。これでマルチ野郎と言われなくて済む。)また、気になって調べてみたのだが、トラックバックという操作は、ひとつのコミュニティの中のみに限られるわけではなく、エキサイトブログ以外のブログの使用者からもエキサイトブログにある記事に対してトラックバックをすることも可能であるようで、そのようなトラックバックを受けているブログ記事も存在する。(逆、すなわちエキサイト以外のブログに対するトラックバックも可、と明記してあった。)


ブログが単に一時の流行にすぎないと見る向きもある。けれど、BBSのみのウェブサイトの運営にも似て、htmlベースでリンクを貼ったりファイルのアップロードをしたりする必要の無い形での記事の投稿や管理は、ウェブサイトの運営そのものを省力化してくれている。トラックバック機能を使わないとしたって、そのメリットは十分にあるだろう。

だとしたら、単純なIDが誰かに先に使われてしまう前に登録してみて、いっちょう使ってみるか、と思ったんである。おお、やっと本題に近づいてきた。それに夢殿もとりあえずちょうど400まで来たのだし、ここらでちょっとした模様替えもありだろう。そんな訳で夢殿をジオからエキサイトのブログに移してみた。(テストも兼ねて、いくつかの記事をジオと重複してポストしている。)んでもって、ブログとは、なんて一席打ってみないと気が済まないだけなんであって、んなこと別に書かんでもええやんていうような、あとで読んで赤面すんだろうな、な、なんだか分かったげなことをいっぱい書いてみたんであるが、別にオレがつらつらと書いていく記事にコメントしろだとか、トラックバックしろだとか、そういう意志表明なんではなくって、ま、管理も簡単そうだしちょっと良さそうだしって感じの軽いノリで始めてみようということなんである。

というわけで、本題。エキサイトブログでは新参者ですが、今後ともお気軽におつきあいいただければいたく感謝いたします次第。

(2004.07.23)
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# by shinakaji | 2004-07-23 20:14 | essay
dr400
気付いたときに、貴方が枕元の椅子に座っていた。顔をみたら笑っていたので、
少し安心することができる。今日は外の天気がいいから湿気が少なくてすごし
やすいね、と貴方がいう。エアコンをかけていたら、そんなことわからない、
と僕が口を尖らせ、そうだったね、と貴方は苦笑する。水滴のつく程きーんと
冷えたオンザロックのグラスを考えながら、僕はひとつ質問をしてみた。

ねえ、この世の中で、一番透明なものって何だと思う?

… なぞなぞあそびか。そうだなあ、空気でどうだ。

ふうん、なんだかありきたりだな。つまらない。

… つまらんと言われてもなあ。正解ってあるのか。

いいや、ない。貴方が思う一番透明なものってなにか、教えてほしい。

… じゃ、オレの心。

たしかにそうなんだろう。自信に満ちた彼にとっては、未来は洋々と拓けてい
て、すこぶる見通しの良いものなのだろう。もしかしたら、だからこそ彼は輝
いて見えるのかもしれない。そういえば、未来に疑問を感じたりしないだろう
子ども達も、いきいきと輝いて見える。

貴方って子供だね。

… わるかったな、ガキで。

いや、誉めてるんだけどな。

… そうかい、それはありがとう。

ガラスの破片のように、時に透明なものは、僕の心に受け止めるには鋭利すぎ
ることがある。それは内包しているものたちを、容赦なく外にさらけ出してい
る。棲む魚を隠す淀みも時には必要なのに。ただ純粋であるよりも、琥珀だっ
て、小さな生き物を閉じこめている方が価値がある。悠久の昔からの植物の血
液の化石。溢れでた樹液に足をとられたとき、その小さな生き物たちは何を感
じてもがいたのだろう。焦り。絶望。その宝石の中に僕たちは誇らしいまでの
恒久の時の流れを感じ取り、焦り、羨望する。

話したいことがある。

… いったい、なんだ。

貴方は僕が黙っていると、ただ笑ってそこに居てくれる。話しかけたときには
返事を返してくれる。本当にそこに居てほしいときの、100回に1回くらい
はそこに居てくれる。だから、それから、僕はとっておきの秘密をひとつ、貴
方にうちあける。

… ふうん、そうなんだ。

それだけ?

… まあね、だって他に言いようがない。

もっと何か言って欲しい。

… 今までと同じように、今できることを今やる、それだけだよ。

ねえ、タバコをちょうだい。

… オレからはやれん。自分で買ってこい。

僕がタバコを買いに行けないのを、ちかくの自販機には僕の好きな銘柄を置い
ていないのを、貴方はちゃんと知っているのだ。

(2004.07.01)
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# by shinakaji | 2004-07-22 00:12 | fiction