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dr403 あきらめが肝心

アレフ。はじめにしょうゆさしがあった。大体において、世の中のしょうゆさしは使いやすいものと使いにくいものに2分される。僕がいままで生きてきた中で、つかいにくいしょうゆさしの大部分は、料理にしょうゆをかけたあとで、しょうゆが垂れて、テーブルにしょうゆの輪ができた。言い換えれば、輪のできないしょうゆさしは使いやすいともいえる。けれど、そんなしょうゆさしに出会うことはめったにないのが難点である。だから、僕はそれを大胆な方法で解決することにした。しょうゆをしょうゆさしに入れなければいいのだ。この方法はたいそう具合がよかった。しょうゆさしを使ったあとにできるしょうゆの輪が無くなったのだから、効果は100%である。たったひとつの難点は、しょうゆを入れる容器を何にするか、ということだ。そこで僕は考えた。もはやしょうゆをしょうゆの容器にいれてはいけないのであれば、なにか似たものの入っていた容器にいれればよいのである。適当なものはすぐに見つかった。手ごろなサイズのめんつゆの容器が、偶然にも、空いて洗われて置かれていたのだ。だから、うちのしょうゆはめんつゆの容器に入れられることとなった。

たまたまいつもと違っためんつゆを使ってみたこともあるが、ふだんは決まったものをつかっている。そのまま出汁しょうゆとして冷奴にかけてもよいし、4倍に希釈すると冷麦や蕎麦のつゆになる。8倍では煮込みうどんの汁になると書かれているし、12倍では吸い物や正月のぞうにに使えるのだそうだ。なお、鶏のからあげは揚げる前にひたしておく、と書かれているのだが、自分で揚げたことはない。こんな便利なものがなんとお得にも1升のペットボトルに入っているのだ。比重を1として、2キロ弱。ちょっとばかり重いのが難点であることに気づき、僕はそれを大胆な方法で解決することにした。めんつゆも別の容器にいれればよいのだ。たまたまそこにあったのは、しょうゆさしとポン酢のあき瓶であった。ここでしょうゆさしを使用するという選択肢は、残念ながら僕には許されていなかった。なぜならめんつゆの輪は、しょうゆの輪と同じくらい腹立たしいものだからである。だから、うちのめんつゆはポン酢の容器に入れられることとなった。

ポン酢はとても美味しい。程よい酸味があり、鍋物にも使えれば、青菜のお浸しにかけてもいい。さらには、その酸味のゆえにかけすぎを防いで、減塩効果さえあるという。だから安心してじゃぶじゃぶかけることができる。幸せってなんだっけ、なんだっけ、なんていうCMが昔あったけれど、僕にとってポン酢はやっぱり必需品なのだ。もしこんな便利で美味しいものが売られていなければ、僕は途方にくれてしまうだろう。そうなったら、自分でポン酢を作るしかない。作るしかないならばやってみようと、試してみたことがある。これが案外うまくいった。作り方は簡単で、黒酢とめんつゆを好みの割合で混ぜるだけだ。めんつゆには適度なうまみと甘みがあるので、2杯酢や3杯酢として使うこともできる。柑橘類の果汁を使えば本物のポン酢になって、もっと美味しくなるかもしれないが、この手間と値段でこの美味しさなら、なにも文句はあるまい。ただ問題なのは、その入れ物である。僕はそれを大胆な方法で解決することにした。自分でポン酢をあわせるときの原料の黒酢の瓶を、そのまま流用することにしたのだ。これだと、酢が瓶の半分くらいになった中に、めんつゆをどぼどぼとそそぎ、蓋をしてからよく振るだけでよい。この際にきちんと蓋を閉めないと、大変なことになってしまうから気をつけなければならない。こうして、うちのポン酢は黒酢の容器に入れられることとなった。

僕はあんがい酢好きである。その証拠に、いま数えてみたら中身の入った酢の瓶が3本もあった。1本は普通の黒酢の入ったもの。黒酢といってもせいぜい麦茶ていどの色であって、さほど黒いわけではない。色をみれば黒酢なのか、ポン酢なのかは一目瞭然である。すくなくとも僕にとっては。この瓶は、ポン酢の入っている黒酢のびんとはまた違うメーカーのものだから、なおさら間違える心配などない。もう1本はしょうゆのようにまっくろな酢である。中国かどこかの製品で、瓶には香醋と書かれている。なんだかどろどろした感じの見た目で、いたんでいるんじゃないかと心配になるのだが、なめてみたらやはり酸っぱくなっていた。でもこれはもともと酢だから区別がつかない。だから、たまに料理の香り付けなどに使っている。もう一本はりんご酢である。最近、夜でも蒸し暑く、冷たい飲みものが欲しくなる。そんな時に、いちいち外の自販機でジュースを買ってくるのはなんだか面倒で、僕はそれを大胆な方法で解決することにした。酢を水でうすめて氷を入れて飲んでみたのである。あにはからんや、案外これがいける。健康にもよさそうな気がするし、小遣い銭の節約にもなる。良いことづくめではないか。ただ、普通の黒酢だとまだ喉がぴりぴりする気がするので、飲用のためにわざわざりんご酢なるものを買ってみたのだ。見た目は普通の酢と同じなのだが、瓶に描かれたりんごの絵のせいか、味が自然でまろやかな気がする。

以上をまとめてみると、こうなる。うちの食卓には、黒い液体の入った瓶は4本ある。瓶はめんつゆとポン酢と黒酢と香醋。中身はしょうゆとめんつゆとポン酢と香醋。別に黒酢も存在している。いかにも酢然としたりんご酢もある。そんなわけで、はじめてあそびにきた他人にとって、うちの食卓の調味料は、かなりわかりにくいのだそうだ。自分ではもう慣れてしまっているから、たいして間違えることもない。たまに間違えても大したことはない。むしろこういったものが人生の味付けなのだと笑い飛ばせばいい。すっぱい失敗。

(2004.07.27)
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by shinakaji | 2004-07-28 02:50 | essay
dr402 巨大魚と中古のライオン達

「ウォルター少年と、夏の休日(Secondhand Lions)」(以下ライオン)の映画は見ていないのだが、ノベライズ(竹書房)を読んだ。口絵の映画のシーンからとられた写真をみて感じたことは、ハリーポッターと開かずの鞄(←間違っている)を映画で見たときの感想にも似ているのだが、主人公役のオスメント少年が大きくなったなあ、というものだ。子役はいつしか大きくなって大人になる。けれど描かれた少年は、あいも変わらずすぐにも泣き出しそうで繊細だ。どうも僕の固定観念かもしれないのだが、オスメント少年には、シックスセンスにしろA.I.にしろ、眉を顰めて泣くのをこらえているような表情のイメージがある。

さて、ウォルター少年が母親につれられて、それまで存在すら知らなかったような伯父たちのところにあずけられるところからこの話ははじまる。彼にとっての母親である前に奔放に一人の女としてしか生きられない母親は、けして憎むべき性格ではないのだが、人の親としては向いていないのだろう。父親もなくそんな母親に育てられたからなのか、小さいころから転居をくりかえしてきて親友もいない彼にとって、この世に本当に大切なものは何もない。本をよみ、想像をして毎日をすごす、リアルを感じさせない少年だ。彼にとって母親は頼るべき相手でありながら頼りきることのできない諦観の対象でしかない。そんな彼が、飾り気のないちょっと風変わりな伯父たちとすごす中で、彼にとって大切なものが何であるかを見出していく物語だ。

読んだ直後に、僕は「ビッグフィッシュ」を思い出していた。ビッグフィッシュでは主人公の父、ライオンではウォルター少年にとっては父親代わりともいえる伯父たちは、ともにちょっと信じがたいほどの冒険をしてきたのだと告げ、最後のクライマックスでは、彼らの死後、その話が真実であったことを匂わせて話が終了するからだ。ビッグフィッシュの主人公は、話術の巧みな父親の「ほら話」が本当にあったことだとは思っていないが、あるきっかけで父親の話の中の真実はなにかということを探しにいく。父親のほら話を辿る映像は美しく、この映画の見所のひとつでもある。父親は死に際し、主人公の手の助けによって巨大な魚となり川の流れの中へ帰り、主人公が父親の人生をほら話も含めて受け入れたことを象徴するのだが、最後の父親の葬式の場面で、弔問客であるシャム双生児であったはずの女性が実はそれぞれ別の身体を持つ二人の美女だったことを映し出し、すべては嘘では無かったことを示唆する。ライオンではそのような手の込んだ描写は無い(これはノベライズだからかもしれない)。莫大な財産をもち、金の匂にひかれて近寄ってくる者たちを避けるうちに、まるで人嫌いなように振舞う癖のついた伯父たちは、過去に強盗をはたらいたのだとさえ噂されるのだが、ウォルター少年の打算のない姿に彼らもやがて打ち解けてゆく。一方、少年にとって、母親さえもが彼に嘘を告げるのだから、嘘などたいしたことではなかったのかもしれない。伯父たちの話す獅子奮迅の冒険譚に「信じたいことを信じればいい」と言われ、本当かどうかの判断がつかないまま彼らをまるごと受け入れる。そして映画(というよりノベライズ)にも描かれていない数年も含めて、彼にとってのリアルな生活が始まるのだ。

このノベライズを読みながらストーリーとは関係の無いところで、僕は「エイリアン」も思い出していた。まだ映画を自由に見にゆくような小遣いさえ持たなかったころであったが、映画のノベライズとしてはじめて読んだのがこの「エイリアン」である。ギーガーのデザインに負うところも大きかったのだと思うが、この映画は興行的にも成功し、いくつかの続編を生んだのであるが、そのうちの1作が、同時期に公開されたターミネーター2とエンドシーンが似ていることでも話題になったのである。けして模倣したわけではないはずなのに、結果としてはその色や形が似てしまうことがある。そんな普遍性という共通点に思いが及んだためであろう。

(2004.07.24)
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by shinakaji | 2004-07-25 02:18 | review
dr401 ブログがラーメン屋だとすると
世の中では、比較的新しいウェブサービスの一環として「ブログ」なるものが注目されている。なんだか判らないなりに調べてみると、既存のウェブサービスよりも個々の発する情報の間の相互作用を重視しているものであるように見える。喋りっぱなし、発信しっぱなし、打ちっぱなしではなくて、キャッチボールをするようなものか。いや、1対1ではないから、キャッチボールというよりも集団球技か。いやあ参ったなあ、バレーボールにしろ野球にしろ、オレ、球技って苦手なんだよな。別に他のことなら得意ってわけでもないんだが。


ブログでは、ポストされた記事に対して「コメントをつける」他に、「トラックバックする」ことができる。トラックバックこそ、ブログの醍醐味とまで言う人もいる。今回ブログについて関心を持って初めてきいた、この「トラックバック」について、オレのつたない理解で喩えてみよう。

いまとても美味いラーメンを食わせる店があるとする。貴方はそのラーメン(すなわちポストされた記事)にいたく感動して、店主にその感動を伝えたいと思う。色紙なりその店に用意されたゲストブックに、そのラーメンの感想を書いてくるのが「コメントをつける」ことであり、これは従来でもBBSなり感想用のフォームなりの用意されたウェブサイトでは可能なことである。

これに対して、貴方自身が編集しているグルメ雑誌の中でそのラーメンを絶賛したとしよう。その絶賛記事のコピーと雑誌社の連絡先を店主に送りつけると、店主はこの記事を額に入れて店先に飾るかもしれない。いわゆるこれがトラックバックだ。従来であれば、ウェブでこれを実現するには、もとの記事を書いた先方に、これこれのURIに貴方の記事に対する意見を書きましたと告げ、先方がその部分の引用とリンクを貼る作業をしてくれるのを待たなくてはならなかった。この「引用とリンク」という作業がなければ、先方がその意見を読んでくれることはあっても、先方のサイトの訪問者の目にまではとまらないからである。この「先方のウェブのスペースに、自分の書いた意見を引用しリンクを貼る作業」を自動的にしてくれるのがトラックバックということになる。従って、トラックバックされた記事への批評なりを読もうとすると、批評なりの書き手のウェブサイト(ブログ)へ跳ぶことになる。

今までも自分のウェブサイト上に、ウェブ上で発信された誰かの記事に関するコメントを書くことはできた。けれど、相手にその記事へのリンクを強制することはもちろん、読むことを強制することすらできなかった。つまり、トラックバック機能は、情報発信者の間のつながりの構築を強制し、良い意味では容易にする。だからこの機能に注目してブログを使用するということは、誰かからの批評なり共通の興味の表明なりを積極的に受け入れたい、という意志の現れとなるのだろう。

単なる感想や短いコメントなら、先方のBBSなりにコメントを書いてくるだけでも良いだろう。(ブログにもコメント機能がある。)けれど、その感想や先方の記事を元にして、さらに議論を展開したいという場合にはどうだろう。「いやそうじゃなくて、元ネタはあるけど、これはオレの意見だからオレのウェブサイトに書くぞ」という意志の表明が、トラックバックするということになるだろうか。トラックバックする相手として、クロスで(つまり複数の相手に対して)トラックバックするということだってできるようだ。(トラックバックURLの行にセミコロン区切りで書くみたい。これでマルチ野郎と言われなくて済む。)また、気になって調べてみたのだが、トラックバックという操作は、ひとつのコミュニティの中のみに限られるわけではなく、エキサイトブログ以外のブログの使用者からもエキサイトブログにある記事に対してトラックバックをすることも可能であるようで、そのようなトラックバックを受けているブログ記事も存在する。(逆、すなわちエキサイト以外のブログに対するトラックバックも可、と明記してあった。)


ブログが単に一時の流行にすぎないと見る向きもある。けれど、BBSのみのウェブサイトの運営にも似て、htmlベースでリンクを貼ったりファイルのアップロードをしたりする必要の無い形での記事の投稿や管理は、ウェブサイトの運営そのものを省力化してくれている。トラックバック機能を使わないとしたって、そのメリットは十分にあるだろう。

だとしたら、単純なIDが誰かに先に使われてしまう前に登録してみて、いっちょう使ってみるか、と思ったんである。おお、やっと本題に近づいてきた。それに夢殿もとりあえずちょうど400まで来たのだし、ここらでちょっとした模様替えもありだろう。そんな訳で夢殿をジオからエキサイトのブログに移してみた。(テストも兼ねて、いくつかの記事をジオと重複してポストしている。)んでもって、ブログとは、なんて一席打ってみないと気が済まないだけなんであって、んなこと別に書かんでもええやんていうような、あとで読んで赤面すんだろうな、な、なんだか分かったげなことをいっぱい書いてみたんであるが、別にオレがつらつらと書いていく記事にコメントしろだとか、トラックバックしろだとか、そういう意志表明なんではなくって、ま、管理も簡単そうだしちょっと良さそうだしって感じの軽いノリで始めてみようということなんである。

というわけで、本題。エキサイトブログでは新参者ですが、今後ともお気軽におつきあいいただければいたく感謝いたします次第。

(2004.07.23)
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by shinakaji | 2004-07-23 20:14 | essay
dr400
気付いたときに、貴方が枕元の椅子に座っていた。顔をみたら笑っていたので、
少し安心することができる。今日は外の天気がいいから湿気が少なくてすごし
やすいね、と貴方がいう。エアコンをかけていたら、そんなことわからない、
と僕が口を尖らせ、そうだったね、と貴方は苦笑する。水滴のつく程きーんと
冷えたオンザロックのグラスを考えながら、僕はひとつ質問をしてみた。

ねえ、この世の中で、一番透明なものって何だと思う?

… なぞなぞあそびか。そうだなあ、空気でどうだ。

ふうん、なんだかありきたりだな。つまらない。

… つまらんと言われてもなあ。正解ってあるのか。

いいや、ない。貴方が思う一番透明なものってなにか、教えてほしい。

… じゃ、オレの心。

たしかにそうなんだろう。自信に満ちた彼にとっては、未来は洋々と拓けてい
て、すこぶる見通しの良いものなのだろう。もしかしたら、だからこそ彼は輝
いて見えるのかもしれない。そういえば、未来に疑問を感じたりしないだろう
子ども達も、いきいきと輝いて見える。

貴方って子供だね。

… わるかったな、ガキで。

いや、誉めてるんだけどな。

… そうかい、それはありがとう。

ガラスの破片のように、時に透明なものは、僕の心に受け止めるには鋭利すぎ
ることがある。それは内包しているものたちを、容赦なく外にさらけ出してい
る。棲む魚を隠す淀みも時には必要なのに。ただ純粋であるよりも、琥珀だっ
て、小さな生き物を閉じこめている方が価値がある。悠久の昔からの植物の血
液の化石。溢れでた樹液に足をとられたとき、その小さな生き物たちは何を感
じてもがいたのだろう。焦り。絶望。その宝石の中に僕たちは誇らしいまでの
恒久の時の流れを感じ取り、焦り、羨望する。

話したいことがある。

… いったい、なんだ。

貴方は僕が黙っていると、ただ笑ってそこに居てくれる。話しかけたときには
返事を返してくれる。本当にそこに居てほしいときの、100回に1回くらい
はそこに居てくれる。だから、それから、僕はとっておきの秘密をひとつ、貴
方にうちあける。

… ふうん、そうなんだ。

それだけ?

… まあね、だって他に言いようがない。

もっと何か言って欲しい。

… 今までと同じように、今できることを今やる、それだけだよ。

ねえ、タバコをちょうだい。

… オレからはやれん。自分で買ってこい。

僕がタバコを買いに行けないのを、ちかくの自販機には僕の好きな銘柄を置い
ていないのを、貴方はちゃんと知っているのだ。

(2004.07.01)
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by shinakaji | 2004-07-22 00:12 | fiction
dr399
空を一番近くに感じたのは、自分がとてもつまらないものに感じていた時でも
あった。あとで周囲をさわがせることになったのでもあったが、その時にはそ
んなことに構う余裕もなく、ただ、高みを目指して登りたかった。乗り越えよ
うと思えば物理的には簡単に越えられたであろうフェンス越しに、地上の光は
ただ遠く、聞こえてくるのはただフェンスの隙間を抜けていく風の音ばかりで、
かなり気温も低かったはずなのに、不思議と寒さは感じなかった。


そこそこの都会であるはずなのに、地上の灯りが案外少なかったのは、先頃の
不景気の所為だろうか。昼間ならば見えるはずの桜の列が、暗い列として見え
ていた。今宵も脇を通ってきたあの疏水沿いではもう少したてば蛍がでるはず
で、馬鹿なカップルどもが我が物顔で闊歩するのだろうということに思いあた
ると、なんだかそれまで悩んでいたのが馬鹿らしく感じて、僕は服が汚れるの
もかまわず、空を見上げて寝ころんだのだった。

背中に冷たいものを感じながら、そして、そこにあるのが植物の茂みであるに
しろ、人間により作られたフェンスであるにしろ、自分の目の高さよりも上に
モノがあるだけで、自分はいま大地の上に居るという安心感がある。今でも何
故泪がでそうになったのかは判らないが、誰が見ていなくても同じように光っ
ているはずの、とりたてて存在を主張してくるでもない星を見て、その静けさ
に圧倒されていた。


空気の薄い山の上から夜空を見上げたことのある者でなければ、天の川が何故
に河であるのか判らないのではないか。未だ学生にもならず、生徒だった頃に、
大人たちに率いられて夏山に登ったことがある。雪渓を越えていくそれなりに
本格的なコースだった。もうすぐ下山という日に自然に湧出している温泉の近
くの山小屋に泊まり、無邪気にも夜遅くまで湯の中で満天の空を見上げてすご
した。それは輝かしいほどの光の量であり、未来ある僕たちを祝福していた。
非常食にと缶詰を持って登ってその重さに辟易していた友人は、朝方まで湯に
浸かっていて湯当たりを起こし、翌日の下山路ではへろへろだったのだが。


山といっても、その時に比べれば大した高さではない。昼間はサンダル履きで
も登れるハイキングコースにもなっている。しばらく夜空を見上げ、かろうじ
て名前のわかる星座をみつけたりしているのにも飽き、周囲に人気の無いのを
確認して、虚空に向かって大声をあげてみた。何を叫んだのか、今となっては
覚えてもいないが、だんだんと大人の事情というものに縛られはじめていて、
かと言ってさほど権限もない、学生という不安定な時期特有の焦りだったのだ
ろう。しばらく吼え続けるうちに疲れてきて、ようやく落ち着いたような気が
して、僕は山をおりることにした。空はもう白けはじめており、早朝の散歩な
のか道の脇にあるお地蔵さんに手を合わせているお年寄りにであった時には、
たとえようもない気恥ずかしさを覚え、少し足早に通り過ぎたのだった。


地は遠くにあり、空には近づいたはずなのに、やはり遠いままである。そして
同じように侘びしく光を放っている。地上と空と、そのどちらからも拒絶され
て、その疎外感が気持ち良かった。その事により、遠いはずの空に近づいたよ
うな気がして、少し嬉しくなった。いつかよりも少ないけれど、数えるには多
すぎる星をながめ、そして、あの時と同じように空が白けてくるころ、気恥ず
かしさを覚えながら高みより今度は地を目指したのだ。


僕の今いる施設では、垣にどうだんつつじが植えられている。秋の紅葉が好き
だという人も居るが、僕は春先の花のシーズンが好きだ。終わりではなく始ま
りの象徴だから。ひとつづつでは目立つ程でもないが、夜目にも白く小さなベ
ル型の花は、誰に媚びるでもなく、下を向いて咲いている。ずっと白一色の小
さな花が、秋に刈り込まれたドームの形に集まって春の星空を為している。漢
字で書くと満天星。僕はもはや地上にしばりつけられているからと言って絶望
はしないつもりだ。結局、太陽の助けを借りずに光っている星だって孤独なん
だし、手の届く地上にも星はあることを知ったのだから。

(2004.06.20)
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by shinakaji | 2004-07-22 00:11 | fiction
dr398
梅雨の合間のある晴れた日。昨日は薄いシャツだけでは少々肌寒かったから、
と羽織った半袖の上着が鬱陶しいほどの気候で、それは夕方になっても大して
変わりもしなかった。僕が普段すごしている個室は、ずうっと長い廊下に面し
ている。たまにナースが通る以外はあまり人の声の聞こえてこない部屋で、ど
うせ遠くにいけるわけでもなし、たまに廊下にでたりするくらいの自由はある。

背中に枕を押しあてて、いつもと同じように本をめくったり、それに疲れると、
栞も使わずに読みかけのページを下に枕元に逆さまに伏せて、ちょっとうとう
としたり、相変わらず変わり映えのしない部屋の中を眺めたり、定時の巡回を
待ったり、そんなことをして時間を過ごしていた。だから、貴方にとってはき
っと些細なことかも知れない小さなことが、僕にとってかけがえなく思えるこ
ともある。

入り口のドア、これは白に近いクリーム色に塗られていて、僕の顔くらいの高
さのところに、手を一杯にひろげた時の小指の先から親指の先までの丁度2倍
くらいの長さの正方形の磨りガラスがはめ込んである。そろそろ夕方になると、
建物の外の雰囲気が変わるから、なんとなく分かるのだけれど、そういった時
間帯だった。僕はいつもとはちがう雰囲気に惹かれてドアを開けはなった。

廊下に面したドアの向こうにあったのは、長い長い影。廊下のつきあたりの西
側の窓から夕日が差し込んでいたのだ。空はもともと青い色をしているのに、
朱色の夕焼けが重なると、さて何色になるでしょう。小さいころに習った単純
な足し算だ。青と赤をまぜると紫になります。紫色が好きな子供は情緒に問題
がありますか。単純な赤や青が好きでなくてはいけないのですか。

廊下のつきあたりの、開けることのできない冷たい窓ガラスにおでこを押しつ
けて、手の届かない空を掴み取りたいと思った。こんな綺麗な空を僕だけのも
のにして、好きなときにこっそり眺めたい。造花ではなく本物の花だけが持つ
のと同じようなきめ細かさを逃してしまいたくなくて、やがて空の色が薄暗く
なってくるまで、しばらくおでこをガラスに押しつけたままにした。まだ十分
に視界は届くのに、窓の下の駐車場では、緑色の水銀灯が光を放ち始めていた。

翌朝、頼み込んで駐車場までの短い散歩をした。昨日の名残がなにかみつから
ないかと思ったのに。水銀灯の下に落ちていた大水青も、昨日の空を見たのだ
ろうか。朝の空はすっかり新鮮で、昨日の気配など残ってもいなかった。

(2004.06.15)
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by shinakaji | 2004-07-22 00:10 | fiction
dr397
半熟の玉子の黄味のように粘度の高いとろりとした空気の中でゆらゆらと揺れ
ている夢を見ていた。まぶたを透かしてくる光は、太陽の金に細い血管がまと
わりついたような色をしていて、血を送り出すポンプの脈動にあわせて膨張と
収縮をくり返し、波は満ちては引いて、細い管の中の浮き輪のような形の小さ
な粒を押し流し、運んでくる。

聞き慣れた声が、ブレーキとともにかたんと揺れて停まった自動車の助手席の
目を覚ました僕の貌を覗き込んで、よう寝てたね、あんまり気持ち良さそうだ
ったから起こせなかったよ、と言って笑った。いやあ、ごめんごめん、最近ち
ょっと疲れ気味だったのかもね、僕の声が答えている。とりあえず外へでよう
か、せっかく来たんだし。そうだね、天気も良いことだし。

自動車を停めた空き地の近くの道路を渡ったところよりそれは見えた。遠くか
らも霞むほどに染め付けられた黄色の雲海。ずっと一面に菜の花を植えた畑。
少しばかり興奮して黄色の海の汀まで土手を駆け下り嘆息する。へえ、すごい
ねえ、口をついてでてくるのは平凡な言葉ばかり。きれいだねえ、耳に入って
くるのも聞き慣れた声ばかり。


ぴんと張られた鋼線をはじいてできる定常波のように、丈のある花は、わずか
な風にも揺られて揺れて、そうして波面をつくりだす。音のないざわつきが右
を向き、左を向き、光の金が波の表面で泡だつ。かつ消え、かつ結びて、久し
くとどまりたる例なし。反射されてしまうのか、溶け込んだのか、光は目に黄
色く眩しいばかりだ。

ふと風向きがかわると、波はこちらに向けて一斉に押し寄せてくる。海に溺れ
てしまいそうな錯覚をおぼえ、わずかに僕は身構える。風に運ばれてきた、か
つてこんなにも濃密に感じたことのない花粉の香りに、僕の抵抗は何の力を持
つだろう。いつの間にか眩惑されて、花を渡る紋白蝶になり、月を巡る大水青
になる。光に向かって一定の角度で飛翔しているつもりが、青白い水銀灯の周
りをぐるぐると廻りつづけ、地球に向かって永遠に無重力の自由落下を続ける
人工衛星となり、海を渡ろうとして花の香の束縛から逃れられなくなって、離
れては連れ戻され、飛び立っては舞い降りる。

海面につきささる光を踏み台にして空を目指す。眼下に広がる一面の波を見下
ろしながら、脆くも薄い翅脈を風にのせる。花粉の香りが上昇気流に混ざって
いるあいだは、それにのって昇ってゆける。やがて空気さえ希薄になり、黄色
の雲海も霞んでしまうにつれて、束縛も弱くなるかと思えども、やはりそれは
そこに厳然として存在し、その庇護の下を離れんとすることを許さない。だか
らまた、仕方なく、花の海に溺れてしまうことを承知で、むせ返る花粉の香り
に溺れるために落ちていく。


そろそろ帰ろうか。聞き慣れた声が聞こえてくる。もうちょっとだけいいかな。
じゃあと少しだけ。風も冷えてきたからね、先に自動車に戻っているよ。
置いて行かれてしまわないように、ちょっと小走りで追いかけながら、僕は、
最後にもう一度、ずっと一面に菜の花を植えた畑をふり返ったのだ。

(2004.05.26)
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by shinakaji | 2004-07-22 00:09 | fiction
dr396
はじまりに声は無く、ただ音の響きのみが存在していた。

湯が高みより鼕鼕と滝壺に流れこみ、湯気を巻き上げて辺りの風景を白けさせ
ている。ひらけた方角を見るに、遠くまで靄の広がっており、さらにその向こ
うには、萌葱を帯びた山肌の隠され、立ち上りながら岩の貼りつき、昏い雲へ
と連なっている。

どうどうと音す水の流れによりて、周囲の空気の震わされ、それにつれて昏い
雲も、一部厚くなり一部薄くなりを繰り返し、幢幢とゆらめいて、空気の振動
はその周波数を増し、やがて可聴音となりて空間を満たす。それは吽の音であ
り、同時に阿の音であった。

子音を伴わぬ音は、上方の雲と響きあって、圧縮され開放されて粗密波をなし、
ひとえ、ふたえ、とえ、はたえとその密度を増すと、やがて水音をも凌駕する。

湯壺の中でその様子を見上げ、呼応するかのように呼気に響きが重ねられ、唸
りをなし、体内と体外の境界を消し去るに、雲の昏さと相まって、閉塞された
唸りは強暴に出口を求め、口蓋を押し上げんとする。やがて上唇が破れると、
有声両唇鼻音を為し、周囲に満ちた阿音とあわせ、一つの単語を醸し出す。

あめ。それは天である。立ち上る山肌より昏い雲を集めてそこにあった。
あめ。それは雨である。集められた昏い雲は、凝縮され、水の粒をつくりだし、
自らの重さに堪えかねて地へ還らんとする。
淵に棲む河童か、あるいは木立に遊ぶ烏天狗か、童子の声が言の葉を告げる。
あめがふってきたよ。あめが。あめが。あめが。あめ。あめ。あめ。あめ。

昏い雲のすっかり落ちてしまうと、明るくなった空が残されていた。

(2004.05.07)
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by shinakaji | 2004-07-22 00:07 | fiction
dr395
4月29日

未だ若い展いたばかりの山桜の葉を一枚毟り取って翳してみる。花にしろ若葉
にしろ透過光で見るのが一番美しいと思う。細いけれど聢りとした脈が柔らか
な色の中で太陽の力を借りて幽かに輝いている。歩を止めて見入っていると後
方より葉擦れの音が届いた。足下の弛んだ地面も雛霰のように萌え膨らんだ枝
も須くは緩衝材として働いて此の世の音を吸い取ってしまうと思われたのに。

嗚呼、初夏の日射しだ。全ての良き物は太陽の方を向いていると言ったのは誰
だったろう。永い冬の時間も迂闊にやり過ごすだけではなく、着実に準備を重
ね、時が来ると蕾は弛み新芽は爆発的に展く。花の一つ一つ、蕊の一本一本、
若葉の一枚一枚に至るまでが決して同じでは無いのに、一つ一本一枚に至るま
で決して手の抜かれたるはなく、それぞれの場所に堂々といる。

この風に色があれば屹度柔らかい薄い桃色の線で表されるだろう。葉擦れの音
に色があれば屹度水色に光っているだろう。初夏の馨に色があれば絵の中に檸
檬のように活き活きとした黄色に塗り込めるのに。こんな日は全てが優しく貴
方の為にあり、全ての美しい物は貴方に属している。

桜の葉の特有の馨は塩漬けにして初めて生じるものだときく。掌に摘んだ若い
葉に貌を近づけてみても矢張り青臭いだけで桜餅の馨はしてこない。悪戯心か
ら山葵と同じ様に細胞に傷をつけて見たら薫ってくるだろうかと考えて葉の中
心あたりを千代紙から五芒星を切り抜く時の如く折り重ねていく。然うして少
しばかり強く揉んでから展くと、青い中に桜と言うよりは河原撫子の様な紋様
が灼然として顕れている。軈て乾いた葉は仄かに薫っている気もする。

何となしに愛おしくて何一つとして無駄の無い事に嬉しくて、その葉をポケッ
トの文庫本の間に挟み込むと、前を向いて木漏れ日の間をまた歩み出した。


(2004.04.30)
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by shinakaji | 2004-07-22 00:07 | fiction
dr394
4月1日、Poisson d'avril。お魚の日

 グランド・ピアノの周りに朱に塗った板をめぐらせてカウンターに仕立てた、
ときけば趣味が良いと思うだろうか。その天板の上にはむしりとられた赤いバ
ラの花びらにスプレーで滴の演出がされていて、鱗のおおきな魚とともに壁に
おおきく描かれた半裸の女性と同じように肉感的なシャンソン嬢が、少しはず
れた調子でうたっている。日本語のリズムがメロディラインとそぐわないのは
きっとご愛敬。ひとつ曲がおわるたびに僕はお愛想で手をたたく。奥からは合
コンらしき学生たちの一気呑みの囃し声と拍手が聞こえてくるけれど、慣れた
様子で気にもとめていない。シャンソン嬢というより、店のマダアムとでも呼
ぶべきか。鯰のように大きな口でにっと笑う。
 これじゃゆっくり話もできないし場所を変えようか、と言い出したのは僕だ
ったのか彼女だったのか。二人ともまあ悪くない肴と強い酒とでそれなりに酔
っていた。はじめての彼女の前で格好をつけたくて、ちょっと化粧をなおして
くるねと席を立っているあいだに支払いをすませ、グラスに残った酒をちびち
びと舐めて待つ。僕の後ろからついてきた彼女が店の人の前でバッグに手をか
けた時に、もうお済みですから、と言っているのを後目にさっと外にでると、
春らしからぬ冷気にちょっとばかり酔いがひく。ごめん、次は私が奢るからも
う一軒どう。きっとどちらにとってもお望みの通りの展開。
 はじめての店だけど、とためらいながら入った店の、一番奥の大きな窓際の
止まり木に二人ならんですわると、何種類もの洋酒が丁寧に拭われた棚に並べ
られているのが目に入る。僕はサファイアベースでジントニックを、彼女には
血塗れのメアリーを。それを飲み干したあと彼女はりんごの蒸留酒を所望する。
カルバドスは置いてあるの、と訊いた僕に、バーテンダーは笑ってこたえる。
お二人の目の前の棚の2本だけですね。こちらは36年もののビンテージで、
こちらはかなり若い、どちらにしますか。彼女は甘いのがいいという。
 氷をピックでまん丸に削るのは大層技術がいるのだときいたことがある。飴
色の液体の中で揺れるたびに硬質の音をたてながら運ばれてきたグラスに彼女
が口をつける。あら、あまり美味しくないわ。僕は女王様に傅く家令のように
うやうやしく、けれどとても断定的に彼女のグラスを取り上げて僕がいただく
ことにする。まだ若くてどこか険の残ったわずかな渋みを残した甘めのカルバ
ドスを、氷の音を愉しみながら口に含み、愉悦の笑みを浮かべる。
 花のような果実のような、との曖昧なオーダーでできあがったトールグラス
のカクテルは、淡い色をしていて小さなオレンジ色のバラの花びらが載せてあ
って、その味に彼女は満足したようだ。ライチのリキュールを使ったというそ
の酒の名前をきくとオリジナルのカクテルなのだという。酔っぱらいならばこ
れ幸いと彼女にささげてカクテルに情熱を命名するのだろうけど、あいにくそ
こまで酒には酔っちゃいない。互いのグラスを交換しあったり、二の腕に肩の
体温を感じたり、互いの恋愛話をうち明けたり、二人の視線が交差したり。夜
もだいぶ更けたせいかは知らないが、酸素の不足した水槽の中の金魚のように
他の客達はいつのまにかいなくなっていた。
 はじめてのキスで舌を入れてきたからびっくりしちゃった、フレンチは私も
嫌いじゃないから良いんだけどね。そんな会話は、川沿いの部屋で魚になった
あと。目覚まし代わりの携帯の振動で目をあけて、共犯者のシンパシーで視線
を交わしたあと。それからふたり身支度をして、それぞれの待つ人の元へ帰っ
ていく。小さくて赤くてぴちぴちと泳ぐ魚のような、一見罪のなさそうな嘘を
それぞれの胸に抱えながら、二人で二台のタクシーをつかまえて全く異なる方
向へと帰っていくのだ。

(2004.04.01)
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by shinakaji | 2004-07-22 00:05 | fiction