dr417 ムツゴロウ訴訟
 新聞によると、3月15日に、諫早湾干拓をめぐり、干潟に生息するムツゴロウなどの生物、それらの代弁者として地元住民4人などが国に事業差し止めを求めた「諫早湾自然の権利訴訟(ムツゴロウ訴訟)」の判決が長崎地裁であったのだそうだ。
 裁判長は生物の訴えを「当事者能力を認めることはできない」として却下し、地元住民の訴えについては棄却したのだそうだが、これに対し、ムツゴロウの代弁者氏は、諫早湾の干潟を「貴重な生物の生息地で、人間の生活と文化に欠かせない存在」と位置づけ、生物は干拓事業で干潟が消滅すればすみかを失うと主張しており、さらに、「死滅した諫早湾のムツゴロウたちは『人間の将来も長くないな』と思っているだろう。」というコメントを残したとされている。

 貴重な自然を保護または保全することには異議を唱えないが、こんなものが認められ出したら、ほにゃららは地球に優しくないからなどという(僕に言わせればふざけた理由で)地球を原告とした裁判が起きかねないと危惧する。(原発は地球に優しくないから原発やめれ、みたいな。)
 ところで、この代弁者氏が、本気で「死滅した諫早湾のムツゴロウたちは『人間の将来も長くないな』と思っているだろう」と思っているのなら、「電波ゆんゆん」ではないだろうか。
1)ムツゴロウに思考能力はない。
2)すでに死滅したのであれば、何かを思っているなどもっての他である。
3)百歩譲ったとしても、ムツゴロウがどう思おうとそんなことは人間の行動の判断基準にならない。人間が、よりより環境の下で存続していくためにどうした方がよい、などというのではなく、ムツゴロウがどう思うかなどということを気にしてどうしたいというのだ。( ← このあたり、自然の権利(や、アニマルライツ)を認めるかどうか、という議論になるのかもしれない。)

 人類にとって、あるいは其処に住む人々にとって、どのような環境が好ましいから、という理由づけでものごとを判断するようにしないと、たとえば環境を保護するために其処に暮らす人々を排除すべきである、などというような歪んだ結論を導きだしかねないので、「地球にやさしい」とか「自然が泣いている」だのという比喩的な表現の行き過ぎには気をつけるべきであると思う。それはまるで、本来、静かにすべき場所で「隣のヒトに怒られるから静かにしなさい」と自分の子供を叱る親のようなもので、自分自身が主体であるような意見の表明の仕方ができないということは、単にその主張や行動に伴う責任を回避しているにすぎないように見える。
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by shinakaji | 2005-03-17 23:59


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